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思い出



入社して

入社から

株式会社学生援護会1979年入社。仕事を探そうと求人情報誌アルバイトニュースを買って読んでいたら、この雑誌を発行している千葉支局の募集が目に付いた。枠の大きさは4全広告。見出しのコピーは「ネクタイをして取材をしてみませんか!!」に、完全に騙された⁉ 単なる、営業員の募集なのに…(笑)。
そして千葉支局、営業部に配属。八千代市、成田市、房総エリアを担当する。一番最初に担当した、初めてのお客様の取材は今でも鮮明に覚えている。八千代台駅前にある二坪位のお弁当屋さん。募集内容は店長候補の募集。手が震えながら取材した(笑)。
翌々日、取材した内容がアルバイトニュースの本に掲載された。初めて取材した内容が掲載になる喜びは誰もが感じたのでは…

飛ぶ鳥を落とす勢いで会社は成長した

とにかく100円でバイトをはじめ、正社員も探せる…当時のヒット商品として「ぴあ」と並んで 「アルバイトニュース」はマスコミで紹介された。
とにかく、ライバル誌はなく飛ぶ鳥を落とす勢いで会社は成長していった。後にリクルートからFromAが出てきて、会社は第二次成長期を向かえることになり、営業員としては厳しい時代になる。

学校の延長のような楽しい会社

入社してビックリしたのはとにかく若い社員が多いということ。キャラもユニークな人間が沢山いた。私が入社した時代にはあまり学歴には拘らず誰でも入社させてた感がある。そして中小企業や個人店からの募集依頼が多いので人が足らない状態だ。市場はほぼ独占してたからね。
だからあっという間に何十人から何百人、何千人と社員は増えた。勿論、営業所も全国展開でどんどん増えていったのだった。そんな環境下だから一つ営業所にとどまれるのは一年から二年。営業所への転勤も多かった。
いい意味では仕事に飽きがこなく、仲間、友人があっという間に増えるのだった。

仲間意識が強い会社

学生援護会の解散後もいろいろなグループに分かれて、集まりが行われているようだ。
とにかく, みんな「アルバイトニュース」の学生援護会が大好きなのだ。
今日もどこかで集まって飲んでいるかも。
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桑名彦太郎イラスト

桑名彦太郎 
1979年、学生援護会入社。千葉支局で営業配属からスタート。その後に幾つかの営業所を経験して、本社営業部ではイトーヨーカドーグループ、ダイエーグループ、森永グループを担当する。10年勤続して独立。ピーアールサービスを立ち上げて31年。現在に至る。
信条は生涯営業担当をすること。一つのお客様と長いお付き合いが自慢。一番長いお客様は38年営業を担当して現在も継続中です。